三八豪雪と急行「越路」

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昭和37年の暮れから翌38年の1月下旬にかけ、大陸からの強い寒気団が北陸地方を中心とした日本海側を次々と襲い、これらの地方では断続的に雪が降り続きました。
特に昭和38年の1月23日頃に来襲した寒気団は「超一級の寒気」を伴っていたため、日本海側平野部の広い範囲で未曾有の大雪に見舞われます。
この昭和38年の大雪はのちに「三八(サンパチ)豪雪」と呼ばれ、今なお引き合いに出される伝説的な大雪害になりました。
この「サンパチ豪雪」のために新潟県の鉄道の要衝・長岡駅が大雪で使用不能に陥り、上越・信越線の大動脈が長岡を中心に至る所で寸断されてしまいます。
そのような天候になるとは予想もせず、雪が小康状態になった1月25日16時5分に新潟から上野に向け、客車列車の急行「越路」が発車しています。 上野到着予定時刻は同日の22時8分でしたが・・・・。


◇三八豪雪の状況

豪雪1   豪雪2
先ずは雪が降り積もった長岡の市街地です。1階部分は完全に雪に埋まっています。
除雪した道路の雪が路肩に積み重なり、雪の壁状態になっています。

   豪雪3   豪雪4
長岡駅前の大通りですが、かろうじて人が歩いている姿が判別できます。
普段であれば神社の境内で遊んでいる子供たちの姿が、神社の鳥居が頭にぶつかる位置になっています。
鳥居の後ろには犬がいます。

   豪雪5   豪雪6
2階の窓が玄関になっていて表札や郵便受けも設置してあります。
雪で水路が埋まり洪水が起きるのを防ぐために水路を掘り出す自衛隊の皆さんです。

   豪雪7   豪雪8
線路の雪を捨てる流雪溝が詰まってしまうために、流雪溝の雪の塊を除去しているところです。
駅に停車中に雪で埋まってしまった列車です。
ホームのなかは雪は積もっていません。

   豪雪9   豪雪10
雪に埋まったツララのついた列車の足回りの雪を除去しています。
こちらは終点の上野駅に到着した満身創痍のEF58が率いる急行「越路」と出迎える国鉄職員です。
新潟〜上野間を国鉄史上第1位の106時間21分遅れで到着しました。



急行「越路」【愛称板】の足取り

◇1月23日16時05分 上野行き704レとして新潟駅を出発
新潟県下越地方は19時半ごろから最大瞬間風速30m/sの暴風雪となり、新潟−長岡間の信越線などが22時過ぎまでストップ。
その後運転を再開したが23時ごろ保内駅構内で雪の吹きだまりに突っ込んでそのまま保内駅(新潟起点:36.3KM)で立往生。

◇1月24日 押切駅(新潟起点:56.4KM)で立往生
暖房が切れたために列車内に火鉢が差し入れられる。
乗客約400人のうち311人が一酸化炭素による中毒症状を起こし、うち重症だった3人がラッセル車で長岡まで運ばれて入院。

◇1月25日〜27日 長岡駅(新潟起点:63.3KM)から動けず
開通のめどが立たないため,25日の夜から乗客は近所の旅館に宿泊。
27日の朝,“除雪協力隊”を乗せた“救援列車”が上野から東北本線・磐越西線経由で長岡駅に到着
レールにこびりついた雪はラッセル車を脱線させるほど固まり、ツルハシでたたき割るしか方法がなかった等困難を極める。

◇1月28日01時45分 長岡駅を発車
自衛隊,除雪協力隊など約1000人を動員して28日01時45分,長岡発車。

◇1月28日08時29分 106時間21分遅れで上野駅(新潟起点:330.3KM)に到着
下りの急行「佐渡」も途中駅の小出駅に足止めされ88時間48分遅れで新潟駅に到着
上野〜新潟間の完全復旧には2月18日に特急「とき」が運転を再開するまでの26日かかっている。

◇(参考)
雪崩等の被害で死者・行方不明者は231名、住宅の全半壊6,000棟、列車の運休本数は19,500本、産業への被害(1,169億円(当時))
自衛隊の救難活動は最大時2個方面隊(1・3・10・12・13師団と9師団派遣隊等)規模にて、約1ヶ月の間 372,000人が投入された。

(注)長岡市内の画像はジオテクサービス株式会社殿ホームページより、雪に埋まった列車、越路の画像は【鉄道ファン】1965年2月号より引用しました。

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